2018/3/9 名古屋ウィメンズマラソン展望<3>
地元・豊川高OG2人は前回日本人1位の先輩・安藤に続けるか?
1学年違いだがマラソン7回目の岩出と初マラソンの関根


 岩出玲亜(ドーム)と関根花観(JP日本郵政グループ)は愛知県・豊川高で1学年違いだった。岩出が3年時に全国高校駅伝1区(区間5位)、関根が4区(区間2位)でチームは2位。関根は翌年は1区(区間3位)を走ってチーム4回目の優勝を果たしている。
 岩出も2年時には、本人は出場できなかったがチームの優勝は経験した。そのときエース区間の1区(区間3位)を走ったのが安藤友香(スズキ浜松AC)で、昨年の名古屋ウィメンズマラソンで日本人トップ、2時間21分36秒の初マラソン日本最高でロンドン世界陸上代表になった選手である。
 岩出か関根が日本人トップを取れば、先輩の安藤に続くことになる。関根にとっては初マラソン日本最高のチャンスもある。

岩出のマラソン全成績
回数 月日 大会 順位 日本人順位 記 録
1 2014 11.16 横浜国際女子 3 2 2.27.21.
2 2015 3.08 名古屋ウィメンズ 8 5 2.29.16.
3 2016 3.13 名古屋ウィメンズ 5 4 2.24.38.
4 2016 9.25 ベルリン 4 1 2.28.09.
5 2017 3.12 名古屋ウィメンズ dnf   dnf 17km
6 2017 11.12 さいたま国際 5 1 2.31.10.

 同じ豊川高OGでも、岩出は実業団2年目の2014年からすでに6回のマラソン歴があるのに対し、関根はマラソンは今回が初めて(それでも実業団4年目の22歳と若いのだが)。この点は対照的である。
 岩出を指導する赤星一平コーチは「レースだけでなく練習や調整でも、経験してきたメリットは多い」と言う。赤星コーチ自身が特に強調していたわけではないが、その話の中から、経験が多いことで得られたものを2つ紹介したい。
 1つは新しい取り組みに踏み出しやすくなることだ。昨年11月のさいたま出場後に、50km走を取り入れたこともその1つ。
「さいたまに向けてアップダウンのコースで積極的に練習し、上半身もやりますがウエイトで下半身の強化にも取り組みました。森岡(芳彦)監督のもとで練習していたノーリツの頃から30km走、40km走もしっかりやってきました。レース展開や風の影響もありましたが、やれることはやってさいたまに臨んだのに2時間31分でしか走れなかった。思った以上に脚が残っていなかったことも大きかったので、50km走も取り入れようとなりました。本人がそれを感じたことと、安藤さんや清田さんが50km走をやっていることも参考にしたようです」

 新たな練習のやり方として、ジョッグを速く走ることも取り入れ始めた。
 エントリーしていた1月の大阪国際女子を、大腿裏の痛みで出場を見送った。
「筋肉系の故障だったので休めば治る、と考えました。でも、そこで1週間休んだら目指していた2時間23分台を大阪で出すことは難しくなる。それで大阪は欠場させてもらって名古屋に絞ったのですが、その結果、ここ2〜3年のなかでは下地作りの期間を最も多くとることができました。それまでは1回(約1時間)に9kmしか走らなかったので、ジョッグは遅い方です。それを故障をしたのを機に11kmに増やしました。アルバカーキでは他のチームの選手も練習していて、速いジョッグをしている選手もいましたから参考にしたのでしょう。ロングジョッグも入れて、1日5〜7km増やすことができました。それが習慣化して、脚が完全に治ってからも多く走るようになったので、月間にすれば100kmくらい増えているかもしれません」

 経験が豊富なことのメリットのもう1つは、マラソン6回目のさいたまで、ペースメーカーなしのレースを経験できたことだ。
 さいたまの記録は自己ワーストだったが、7〜8kmから27kmまで、自身が集団の先頭で引っ張った。集団から後れてからも、1人で走り「初めて42.195kmを自分で走った」形になった。
「6本目でその走りをしたから、それまでの5本が整えられた中での走りだったと気づくことができました。さいたまがなかったら、今も以前の感覚で走っていたと思います」
 今回の名古屋はペースメーカーが付くので直接的に生かすことができるかどうかはわからないが、今後の国際大会なり、勝負がより重要になる選考会で、自らレースを動かすときに生きるのは間違いない。
 ひょっとすると今回の名古屋でも、通常のペースメーカーがつくレースとは違う展開をする可能性も、ゼロではない。

マラソン練習を抑え気味に行った関根
 経験に基づきマラソン練習に手を加えている岩出に対し、初マラソンの関根花観は判断材料がほとんどない。これは東京マラソン前に高岡寿成カネボウ監督(マラソン前日本記録保持者)が話してくれたことだが、「経験を積むことでマラソン練習のここを我慢すれば、ここで頑張れば走ることができる、という部分がわかってくる。初マラソンの選手はそれがない」のだという。
 それは10000mでリオ五輪代表にまでなった関根とて例外ではない。9日の会見で「初マラソンなので感覚は未知数です」と話した。
 2月に行ったアルバカーキ合宿では、先輩の岩出と一緒になることもあり、「不安なんです」と正直に心情を吐露した。
「岩出さんは、初マラソンだからできることもある、とお話ししてくれました。積極的に走ることができる、というニュアンスだったと解釈しました」

 マラソンに向けた判断材料もないわけではない。JP日本郵政グループの高橋昌彦監督は、90年代後半から00年代前半に小出義雄氏のもとで、五輪メダリストの高橋尚子や有森裕子をサポートした。02年以降はUFJ銀行とトヨタ車体で大南博美・敬美双子姉妹を指導し、10000mとマラソンで日本代表に導いた。
「有森さん、高橋さん、大南さんのお話も、食事中などに話を聞かせていただきました。その方たちもきつかった練習があったとかうかがって、私だけじゃないんだとわかったこともありましたが、私よりも質の高い練習、多い量をやられていたこともうかがって、自分はまだまだだなと思いました」

 その高橋監督によれば、関根のマラソン練習はかなり抑え気味に行ったようだ。
「ここで燃え尽きるような練習をしてしまったら、マラソンが嫌いになってしまうかもしれません。手探りの練習でしたが、有森やQちゃん(高橋)がメダルを取ったときのような非の打ち所のない練習をしてしまったら、逆に良くありません」

 関根は初めてのマラソン練習の印象を、「今までやってきたことは生ぬるかった」と話す。長い距離を走ることが大好きで、小金井市の陸上部寮から町田市の自宅までを走って帰ったりした。そんな関根でも、ジョッグよりも速いスピードで行うマラソン練習は、かなりの負荷と感じられた。
 それでも、関根が長い距離へ適性を持っていることは確か。
「日を追うに従って、それまでゆっくりでしか走れなかった距離が、少しずつタイムを縮めることができて、後半ビルドアップもでき始めたんです。一番長くて50km走もやりましたが、後半上げることができました」

 故障がほとんどないのが関根の特徴の1つだが、それはマラソン練習でも変わらなかった。
「おかげさまで、(大きな痛みは)ゼロでした。トレーナーさんも帯同してくださり、マンツーマンでケアをしていただきました。ちょっと気になるところが生じても、すぐに対処してもらえた。監督から出されたメニューは全部こなすことができました」
 タイム設定や距離の詳細はわからないが、初めてのマラソン練習で予定を変更なく完遂できるケースは珍しいのではないか。

 関根は「最低でもMGC資格は取る」ことが目標で、具体的なタイムはあまり考えていない。
「その上でですが、レース展開なども影響してくるところですが、あまり守りに入らず、押せるところは自分で押していきたい」
 先輩の岩出からアドバイスされた、“初マラソンだからできる積極性のある走り”を実行に移す。


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